サッカー・フットサルネタ
昨夜、成田総監督より「我々の日本代表が、資金難でW杯出場できないかも」という連絡を受け、急遽エントリー。
ブラインドサッカー(視覚障害者サッカー)の日本代表は、アジア予選を見事勝ち抜き、今年の11月22日にアルゼンチンではじまる世界選手権の出場資格を得た。しかし、選手・役員含めて最低十数名のメンバーを送り出すための渡航費とエントリーフィー(1人600ユーロとのこと)など、合わせて500万円が不足しており、最悪出場を断念する可能性もあるという。
詳細は東京新聞のWeb版参照。
ブラインドサッカー(鈴が入ったボールを音を頼りに蹴るサッカー)についてはこちら
ここから思い出話が始まる。
時は西暦1997年11月16日
人はその瞬間をこう呼ぶ。「ジョホールバルの歓喜」。中田のミドルシュートをゴールキーパーがはじき、こぼれたボールを岡野がスライディングして、ゴールネットが揺れた瞬間だ。
歓喜の瞬間に、住吉はそこに居た。これが一生忘れない瞬間なんだな、とそのとき確信した。
そして、そこで「幸せなら手をたたこう」を一緒に歌った仲間と、サッカーチームを作った。チーム名は、「Club-JB」。JBはもちろんジョホールバルの略だ。(Photo by 成田総監督)
この写真の左手前の人物が、今回の話の主人公「イシイ君」だ。イシイ君はそのとき25歳くらいで、度の強いメガネの奥に、はにかむような笑顔が印象的な青年だった。
イシイ君と住吉は、サッカーチームでは両サイドバックだった。左が住吉、右がイシイ君。1997年で言うところの相馬と名良橋の関係だ。二人ともサッカーは初心者で、経験者のフォワードによく抜かれていた。縁があり、日比野克彦さんのチームと試合したとき、日比野さんの特番を作るということでビデオカメラが回っていたが、放映日に見てみると「日比野さんんがかっこよくシュートを決める」場面で使われていたのは、抜かれた住吉の姿だった。そんな話をイシイ君にすると、「だって僕らは始めたばっかりだし、これからこれから」と言って、はにかむように笑った。
そんな2人のディフェンスで、勝ったり負けたり楽しくサッカーをしていたのだが、歓喜の蜜月は長くは続かなかった。イシイ君の足が次第に遠のいていたのだ。「今日も来ないな」、何となくそう思っていた。
「イシイ君、目がどんどん悪くなってるみたい」
噂で聞いたその言葉に愕然とした。そして、久しぶりに日本代表戦で会ったイシイ君の目は、ほとんど見えなくなっていた。
「あ、今パスカット! 中村から柳沢にパス通ったよ、ほらシュートだ! あー枠外しちゃった」
集まったClub-JBのメンバーが、イシイ君に試合状況を逐一レポートする。イシイ君は「カズなら外さないなっ」とはにかみながら答える。イシイ君にとって、そして住吉にとっても三浦知良は最強ストライカーだ。そんな風に笑い合いながら、「イシイ君とはもう一緒にボール蹴れないんだな」と思うと、頭のてっぺんから足の指まで寂しさが染みこんでいく感じがした。
それからしばらく経って、驚きのメールが飛び込んできた。
「イシイです。ブラインドサッカーはじめました。今度日本代表に選ばれたので、応援してください」
そのメールを読んだ瞬間、体の奥底に潜んでいた、あの歓喜が甦ってきた。イシイ君がまたサッカーを! 僕たちの仲間が日本代表に!
今、イシイ君は、日本視覚障害者サッカー協会の副理事長を勤めている。もちろん現役プレイヤーも兼ねてだ。今回、資金難にも関わらず、「5月末の代表選考合宿に向けてコンディションを高めている」というメールが昨日届いた。がんばってるんだな! さらに
「もちろん、ベスト4以上が目標! それとやっぱりジャパンのスタイルを世界で披露してきたいです」
という力強いコメントが。
そうだ。逆風が吹いたからって何だ。あのとき、ジョホールバルでアリ・ダエイに逆転弾を叩き込まれても、僕らの日本代表は下を向かなかったじゃないか。ワールドカップ出場を決めたじゃないか!
がんばれイシイ君、がんばれ日本代表! そして、僕たちに、新たな歓喜を!
(おしまい)
※出場資金不足に対し、個人/団体などからの協賛募集が開始されるそうです(住吉も個人で協賛予定)。協賛に関して詳細は、日本視覚障害者サッカー協会に掲載されるとのこと。情報が入り次第、またエントリーしますね。